タイトルはお米なんですけど、じゃがいものお話🥔
周年記念に「じゃがいも」をプレゼントする用になったのは、今から15、6年前の事
当時は新臼井田で焼き鳥居酒屋をやりながら、イベント出店や、道路を挟んだ駐車場での屋台販売をしておりました
というのも店の駐車場として空き地一面借りておりましたが、そこは向かいのディスカウント酒店さんの駐車場と隣同士
お酒を買いに来た方はお土産に、ご近所の方は毎週金曜日、井戸端会議の場に使ってくださいました
お家で作ったおつまみや、焼き鳥を食べながら、ビールやジュースは目の前の酒屋さんで買えるという好立地
お仕事をリタイアされたお客様達が多くて、そのうち皆さんで大規模な家庭菜園も始めました
そこである周年記念に、収穫されたじゃがいもを粗品としてプレゼントすることに🎁なったのです
周年記念はお客様に感謝を伝える絶好のチャンスです
なので、ささやかでもずっと大切にしてきました
鈴乃屋駐車場の屋台は、お客様がとても多かったので、じゃがいももあれよあれよと、最後の1個に🥔
その時です
車が1台入って来ました
何も知らないマスターの母が「お客さんにあげてー」とじゃがいもの入った段ボールを2つ
このタイミングでじゃがいも届く?
お互いに驚きました
その年から母は周年記念に八街産のじゃがいもを用意してくれました
2013年まで
他界する前の1ヶ月ほど、できるだけ入院先に会いに行きました(ほぼ毎日)
沢山話しました
沢山名語録がありました
その中で、本当にそうだよねって思った会話
「お米ある?」
「え?あるよ」
「お米があればなんとかなる」
なるほど
どんなキラキラしたSNSに流れてくる言葉より、私には今でも素敵に聞こえます
あ、実は私たち健康のために炭水化物の摂取を減らしいて、お米はあまり食べてないんですけどね^^;
そういう事じゃなくて、母の言葉は最後に最低限生きられたらそれで上等なんだと気づかせてくれたんです
それ以上の事はおまけです
おまけを楽しみながら、でもおまけだから、それはなくしても大丈夫なんだと強い気持ちをもらいました
お米があればなんとかなる!
そして、じゃがいもは大切な思い出です
マスターが中学生の頃、突然母は大黒柱となり子供達3人を一人で育てることになりました
私はその時家族ではなかったので、理解は足りてないと思いますが
とても心細かっただろうし、大人になっても誰よりも3人を心配していたと思うんです
鈴乃屋にお客さんが来てくれて、ありがたい、ありがたい
何遍も言ってくれました
誰よりも心配していたと思うんです
なので、じゃがいもはいつまでも、鈴乃屋とマスター母からの感謝の気持ちのつもりでプレゼントさせていただいております
一緒に周年記念やってます
受け取ってもらえて嬉しいなと思っております